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・クリヤーヨーガの系譜

➢ 19 世紀に入り、ババジは人類が悟りを開くために独身で修行を続けると言う厳しい条件を緩和し、 クリヤーヨーガを世に普及させるため、 自身の愛弟子、ラヒリマハサヤと世に送り込んだ。

ラヒリは幼少期から優れた霊的な才能を発揮していたが、自身はイギリス軍に勤務していた。

或る日ヒマラヤ地方への転勤命令が出され、赴任後休暇を取ってヒマラヤの山中を歩いていると、遠くで自分を呼ぶ声が聞こえ、それがババジであった。ババジはヒマラヤ山中に黄金の宮殿を物質化してラヒリを迎え、そこでクリヤーヨーガのイニシエーションを授けた。

 

その後ラヒリは下山し、 ベナレスで多くの弟子を育成した。その弟子の一人がスリ・ユクテスワであり、彼が育てた多くの弟子の筆頭が『或るヨギの自叙伝』を著したパラマハンサ・ヨガナンダであ

る。彼は戦前に渡米して SRF を設立し、キリスト教徒が大多数を占めていた当時のアメリカで、クリヤーヨーガの普及に尽力した。

➢ ヨガナンダは 1952 年に急逝するが、ヨガナンダ亡き後のクリヤーヨーガの普及に危機感を抱いたババジは、病床にあって殆ど死にかけていたヨーギラマイアに白羽の矢を立て、彼の命を救ったのみならず、自身ヨーギラマイアにクリヤーヨーガの技法を伝授した。

 

その後ヨーギラマイアは著名なジャーナリスト、 V.T.ニーラカンタン (ヴォイスオブババジの著者) と邂逅し、

クリヤーヨーガの指導、慈善、教育及び霊的な活動を行うためのヨーガの組織、「クリヤー・ババジ・サンガ」がババジの求めに応じて結成された。これはパラマハンサ・ヨガナンダが死んだ7か月後のことである。

 

ヨーギラマイアはその後渡米し、アメリカでのクリヤーヨーガの普及に尽力する。

➢ M.ゴーヴィンダン・サッチダナンダ(『ババジと 18 人のシッダ』の著者)は 1970 年、ジョージタウン大学を卒業して間もなくヨーギラマイアからクリヤーヨーガのイニシエーションを受

けた。

 

ヨーギラマイアの元でクリヤーヨーガセンターの専従員となったのち、インドやスリランカにも滞在し、「クリヤー・ババジ・サンガ」の事務局長も務めたが 、1988 年のクリスマスの夜、ババジがその黄金の光に輝く姿を現し、「汝が他の者にクリヤーヨーガを教える時が来た」

と告げられたのを契機に、ヨーギラマイアから独立してクリヤーヨーガの普及に尽力することを決断した。

➢ 尚、これ以外にも、ラヒリマハサヤやスリ・ユクテスワの弟子などに連なる様々なクリヤーヨーガの系譜がある。

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